ブランド紹介
吉田ヤスリ / YOSHIDA YASURI
|
|
|
吉田ヤスリ製作所は、新潟県燕市にある、創業から100年以上金属加工技術を受け継いでいる製作所です。職人が手作業で一つ一つやすり目を打ち込んでいるシンプルかつ高品質な爪やすりを製造しています。 |
|
吉田ヤスリ / YOSHIDA YASURI 取材記
|
日本有数の金属加工の町として知られる新潟県燕市。 燕市の地場産業は、江戸時代初期に日本家屋に使われる和釘作りに始まり、その製造で一大産地となりました。 和釘作りで培われた金属加工技術は、その後ヤスリや銅器、キセルなどの日用生活品にも波及していきます。これらの技術は職人たちによって現在に至るまで脈々と受け継がれて発展を遂げ、”Made in TSUBAME"は全国的にも有名になりました。 またこの地域の産業は独特で、金属加工におけるプレス、磨き、研磨、洗いなどの各工程が専門化された分業制が確立されています。 今回のインタビューでは、その中でも特に珍しいヤスリの「目立て」を専門とする吉田ヤスリ製作所にお邪魔しました。 爪やすりとは? 吉田ヤスリ製作所が手がけるのは、爪やすり。やすりというと工業用のものや、ペーパーやすりなど思い浮かべる方もいるかもしれませんが、吉田ヤスリ製作所では爪のやすりのみを手がけているプロフェッショナル。 爪やすり、みなさん馴染みはあるでしょうか? 吉田ヤスリ製作所で爪やすり紹介動画を作られています。よければご覧ください。 いかがですか。馴染みのある方、ない方、いると思います。 恥ずかしながら、私も最初は爪やすりは爪切りで爪を切った後に整えるものだと思っていました。 そうではなく、爪切りをせずに、やすりで削るための道具を爪やすりと言っています。爪を切るのではなくやすることで、爪が繊細で爪切りに悩みを持っている方の問題が解決します。 詳細は商品ページでご覧ください。 そんな爪やすりの専門メーカーが手がける「爪やすり」にはどのような特徴があるのでしょうか? 熟練の技が光る「目立て」とは 爪ヤスリの素材に使われているのは、約1㎜の薄いステンレス板です。 このステンレス板に「たがね」と呼ばれる鋼を打ち込み、ヤスリの目を立てていく工程を「目立て」と言います。 ↑こちらがたがね 吉田ヤスリ製作所では、目立て機を使ってたがねの刃を等間隔に打ち込み、全て手作業で目立てを行っているのですが、たがねが水平に研げていなかったり、目立て機の強弱のバランスが狂うと、ヤスリ目は均等に仕上がりません。 目や耳、手先の感覚を研ぎ澄ませ、目立て機の振動やヤスリ目の微妙な触感の違いを感じ取って進めるこの工程。これは長年の経験によって初めて成し遂げられるものなのです。 熟練の職人により等間隔に整然と打ち込まれたヤスリ目は、見た目も美しく、使い心地も抜群です。 「YOSHIDA YASHURI」ブランドの爪やすり 吉田ヤスリ製作所は明治後期に創業し、鉄をはじめとする工業用ヤスリの製造を行っていました。昭和30年には爪やすりの製造を開始し、昭和44年に有限会社として設立。以来、長年にわたりその技術を継承し続けています。 創業から120年以上の歴史を持つ吉田ヤスリがこだわるのは、線ではなく“点”で削るという考え方です。通常の爪ヤスリは一方向にのみヤスリ目が入っていますが、吉田ヤスリの爪ヤスリでは、左右斜め方向と水平方向の三方向にやすり目が入れられています。 3段の目が交差して点を生み、その点が爪の細かな繊維をしっかりとキャッチするため、爪が逃げずにヤスリ面に沿い、負担をかけずに滑らかに削ることができるのです。 オリジナルブランド「YOSHIDA YASURI」では、この伝統の技術をそのままに、使う人の用途に応じた、誰もが使いやすい爪ヤスリを作ることを目指しています。 燕市の地場産業の変遷 現在でも多くの人から愛される「YOSHIDA YASURI」ですが、燕三条の地場産業は戦争を経て大きく変化してきたといいます。その流れついてお聞きしました。 「戦前はこの地域に鉄ヤスリ屋が100社程あり、最盛期の昭和12年頃には一年間に4000万本も作られていました。満州事変や支那事変などで軍事需要が大きくなり、燕市だけで業者100 社、従業員も600 人以上いたと聞いています。しかし戦争が終わると同時に需要が急減し廃棄したところも多いんです。」 「その時にうちは鉄ヤスリから爪ヤスリに転換しましたが、現在、燕で同じ爪ヤスリを作る会社はもう1社、工業用のヤスリを作るところがもう1社だけです。全国的に見ても非常に少ないです。」 そう教えてくれたのは7代目の吉田実さん。戦争の終結による鉄ヤスリの需要縮小にさらなる追い打ちをかけたのが、技術の発展だといいます。 それまで金型の仕上げには必ず鉄ヤスリが必要でしたが、金属加工の技術の発展により鉄ヤスリでの工程が減り、需要が減っていったそうです。 現在の生産体制と課題 では、現在の生産体制はどうなっているのでしょうか。職人さんたちの人数についてもお聞きしました。 「 昔は半分手仕事で、職人さんもたくさんいました。今は私と父、外の職人さんが2人か3人いるくらいです。忙しい時は外注も使いますが、中国への輸出が多かった90年代が一番多忙でしたね。」 海外にも輸出しているということですが、同じような技術や物は海外にもあるのでしょうか。 「ヨーロッパやアメリカにもありますが、爪ヤスリに特化しているところは少ないです。また日本の製品は質が高いと評価されています。」 そう話す実さん。国内でのEC販売をメインに行いつつアメリカやカナダの小売店への定期的な出荷もするなど幅広く手掛けているそうです。 OEMとオリジナル製品のバランス 先代の社長の時代には他社ブランドの製品の製造を受注するOEMでの販売を中心に行っていたそうですが、現在8代目の社長を務めている尚史さんが会社に入ってからはオリジナル製品を作り始めたそうです。 オリジナル製品の製作を始めたきっかけは何だったのでしょうか。 「他に真似できないステンレス製爪ヤスリの目立ての技術を集約させた、吉田ヤスリ製作所の名を冠したオリジナルの爪ヤスリを作らなければならない、という思いはずっとありました。 しかし自社でつくり、そして自社で売るところまでをパッケージ化して、経営していくためにはどうしても時間が足りず、後回しになってしまっていたんです。 そんな中、息子が家業に入ったことで時間的な余裕も生まれ、オリジナル製品に取り組むことが出来るようになりました。」 それがオリジナルブランド「YOSHIDA YASURI」の始まりなんですね。現在はどのような割合で製作を行っているのでしょうか。 「コロナ禍の影響でOEMが落ち込んだ時期がありました。その時、ECサイトでの販売に助けられた経験を活かし、オリジナル商品の制作に取り掛かりました。今ではOEMとオリジナルの比率がちょうど半々くらいになっています。 表面の傷取りをしてロゴを入れ、自社ブランドとしての価値を確立させています。『良いものを作っていれば、大丈夫!』という思いで、自社ブランドとしての販売に挑戦しています。」 そう話す実さんの表情からは、自社ブランドへの自信が伝わってきます。 後継者としての思い 現在8代目の社長を勤めている尚史さんですが、家業を継ぐことに関してはいつから決めていたのでしょうか。後継者としての思いについてもお聞きしました。 「実は30歳までは全く別の仕事をしていました。会社員として医療福祉関係の仕事をしていて、当初はいずれ家業を継ぐなんてことは考えたこともありませんでした」 そう話す尚史さん。実家の工場を継ぐと決めたのは、尚史さんの父であり7代目の社長である実さんが60歳になった時のことだそうです。 「先代の社長から後継者になってほしいと言われたことはなかったのですが、大変な時期も見ていましたので、工場を継ぐことを考えるようになりました。 また父が60歳になったのも一つのきっかけで、元気なうちに技術を学びたいということもあり決断をしました」 尚史さんの表情からは家業と地元のものづくりを支えていく覚悟が感じられました。 今後の展望 大変な時期のものづくりを見て家業を継ぐことを考えたという尚史さんですが、これまでにどのような苦労があったのでしょうか。 「コロナの影響も相当大きかったのですが、20年前のサブプライムローン危機の時期が一番きつかったですね。国内の需要がかなり冷え込んで、売上は半減してしまいました」 ではそんな時期をどう乗り越えていったのでしょうか。 「受注が減ってしまった時期に、楽天市場と自社のECサイトを始めたんです。その頃からインターネットでの販売を広げていったことで、コロナ禍でもなんとか乗り越えることができました。 また、多くのお客様から高い評価を頂くことができ、大変嬉しく思っています。レビューに加え、さまざまなご意見を直接伺うことができますので、それらを製品開発に活かしていきたいと考えています。今後も使ってくださる方々の姿をしっかりとイメージしながら、自社製品の開発と販売に一層力を注いでいきたいと思います。」 と今後の展望についても話してくださいました。 吉田ヤスリ製作所のお二人も、また燕三条地域の他の職人たちも、時代の変化に柔軟に対応しながら伝統の技術を守り続けています。 彼らの努力と情熱がこれから先も、この町のものづくりを支えていくのだと感じました。吉田さん、ありがとうございました。 |
|
吉田ヤスリの商品一覧
ステンレス製 爪やすり
|
ステンレス爪やすり こども用
|
ステンレス爪やすり ペット用
|