ブランド紹介

米沢緞通

米沢緞通 ブランド紹介


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米沢緞通は米沢藩時代から絹織物の産地として有名な山形県の南、米沢市にある緞通工房。現在では絨毯のメンテナンス・クリーニング業と手織絨毯業を営んでいます。
米沢緞通を世の中に伝えるべく、日々丁寧にものづくりに向き合っています。「佇まいが心地良い」緞通を目指して。






米沢緞通 / 滝沢工房 取材記



山形県の南に位置する米沢市は、米沢藩の時代から絹織物の産地として有名な地域です。
今回はこちらで手織絨毯を作り続ける米沢緞通・滝沢工房さんにお邪魔しました。
米沢緞通
案内してくれたのは、工房の代表である滝沢さんご夫婦と社員の松本さん。
米沢緞通の歴史や商品、ものづくりに対する思いについて色々とお話を伺うことができました。



そもそも緞通とは?
皆さんは緞通というものをご存知でしょうか。
あまり聞きなれない方もいるかもしれませんが、中国で発祥した高密度の手織りの絨毯のことです。
米沢緞通
緞通は、地糸にウールなどの毛を一目ずつ結び植えたのちに、包丁や鋏などで表面の毛を切って立毛させて作るという、非常に時間と手間のかかる工程で作られています。
強く打ち込みながら織っていくため、重厚感があり美しいだけでなく、毛が抜けづらいという特徴もあります。
米沢緞通
高密度に作られた緞通はとても丈夫で、裏地や接着剤を付ける必要がないので、通気性がよく一年中快適に使うことができます。寿命も長く、何十年も使い続けることができる緞通は、まさに一生ものです。



たくさんの人に知ってもらうために
時間と手間のかかる工程で作られた緞通は、一般的にとても高価なものなのですが、滝沢工房さんでは手に取りやすい価格の商品も販売しています。
「小さいものでも織りの工程に丸4日、鋏入れの工程に丸1日はかかるので、本来もっと高い値段で販売しないといけないのですが、米沢緞通の名前を広めたいという思いで、宣伝費だと思ってなんとかやってます」と話す滝沢さん。
米沢緞通
高くても良い物だと分かってくれる人に売りたい。
しかしたくさんの人に知って欲しいし使ってもらいたい。
そんな思いで設定した価格ですが、価値のわかる人からは原価計算が合わないということで「本当に日本製なの?」と疑われてしまうこともあったそうです。価格設定が難しいところだと話していました。



裏側まで美しい、日本に3社だけの製法
緞通の定義や捉え方については様々あるそうですが、大きく分けると2種類あります。 一つは「フック緞通」と呼ばれるもので、電動のフックガンを使って一針一針打ちつけて作られます。
一方、米沢緞通では、手作業で縦糸にウールのパイル糸をからめ、横糸とからみ糸で織り上げて作られています。
これらは模様が出る密度があまり変わらないため、表から見ると素人では違いがなかなか分かりません。
しかし裏側を見ると違いは歴然です。
米沢緞通
いわゆる「フック緞通」の製品は裏側に布が貼られていますが、米沢緞通は裏側に布がなく、表と同じように美しい模様が表れているのが特徴です。通気性が高く蒸れにくいためカビにもなりにくいのだそう。単に美しいというだけでなく、一年中快適に使用できる実用性の高さが嬉しいですね。
米沢緞通
しかし手間や時間、高度な技術を要するため、この方法で緞通を作っているのは滝沢工房さんを含む3社しかないそうです。



中国から伝来した技法
緞通というのは昔からの技法なのでしょうか。歴史についても教えていただきました。
日本に緞通が伝来したのは江戸時代。中国人の技術者が佐賀で広めた鍋島緞通が始まりだと言われています。鍋島緞通ではウールではなく綿を使用していたそうなのですが、天皇家との繋がりもあり格が高いものとして扱われていました。その後大阪の堺を中心に徐々に広まっていたそうです。
そんな緞通の技術が山形に広まったのは昭和の初期のこと。
当時山形県では町おこしとして、女性の就労のために中国緞通が導入されました。
その技術が各所に散っていく中で、長井市で発展したのが始まりなんだそう。



滝沢工房の始まり
「滝沢工房は、1966年に父が開発した織り機が特許を取ったところから始まりました。
父はもともと米織の織り機のメンテナンスをしていた人なので、機械には強かったんです。」
手織の良さと効率の良さを兼ね備えた特殊な機械で作られる滝沢工房の緞通は、技術的に真似ができない特別なものとして高い評価を得ることになりました。
米沢緞通
技術や品質が認められ、たくさんの注文が入るようになった滝沢工房さんですが、常に順調というわけではなかったそうです。
当時滝沢工房さんではビル全体に敷く緞通という大規模な注文がたくさんあったのですが、世の中の流れも変化し、大規模なものから小さなものへニーズは変わりました。



クリーニングのプロとして
技術が評価され、軌道に乗ってきた矢先の変化。滝沢工房さんでも小さい物ののみの製造へと変化したそうです。
この変化を滝沢工房さんはどのようにして乗り越えたのでしょうか。
「実はビルに敷く緞通の注文をキャンセルした会社から、クリーニングの注文がたくさん舞い込んだんです。高級な絨毯のクリーニングは滝沢にしかできない、と思っていただけたみたいで、こちらから営業をかけなくても仕事はたくさんありました」と話す滝沢さん。
製造の工程での「洗い」の技術の高さが広く知れらていたため、クリーニングの分野でも信頼を勝ち取ることができたというわけですね。クリーニングの高い技術はその後も評価され、大手のクリーニング会社さんにも技術提供をしているそうです。
(もちろん当店でご紹する米沢緞通ブランドの商品も汚れてくればクリーニングできます。長く使う品なのでメンテナンスが製造元でできるのはとても安心ですね)



米沢緞通というブランド
クリーニングがメインとなっていた時期にも緞通づくりは続いていたようですが、米沢緞通のブランド化のきっかけとなったのは2017年、「ててて協同組合」(作り手、使い手、伝え手が協力し合ってものづくりをを行う組合)の永田宙郷さんとの出会いだそうです。
それまで山形緞通として織物業を営んでいた滝沢工房さんですが、この出会いをきっかけに米沢緞通としての歴史が始まったのです。
米沢緞通
ものづくりの支援センターがあると聞いた滝沢さんは、知り合いの方から永田さんを紹介してもらいます。
永田さんはものづくりの発想から販売方法まで、様々なブランディングを提案しました。
この時作られた工房のロゴやパンフレットには山形県内のデザイナーである吉田勝信さんのデザインが採用されています。こんなところからも個性や背景を大切にした温かいブランディングが感じられますね。



ブランディング後にも続く交流
提案してもらったことに真面目に取り組む滝沢工房さんと、それに対して懸命に向き合う永田さん。
交流は今でも変わらず続いているそうです。
「永田先生はいつも忙しく日本中を飛び回っている方なんですが、秋田に用事がある時にうちに寄っていくだとか、『調子どうですかー?』なんて言って一緒にご飯を食べてくだとか、そんな距離感なんです。今も一緒に色々考えていますよ。人気商品のウールブラシも先生に指導してもらったものなんです」とのこと。良好な関係性が窺えますね。
米沢緞通



特許取得の織り機
次に工房に移動して実際に機械を扱う様子を見せていただきました。
「強い打ち込みをするために鉄製のおさを使用しています。目が詰まってしっかりした仕上がりになるんですね。編み物というよりも組み物に近いかも知れません」
米沢緞通
こちらは松本さん。他県の美大で織物を学び、就職活動をきっかけに地元米沢で作られている緞通の魅力を知り、就職を決めたそうです。
米沢緞通
「このグラフを見ながら作っているんです。設計図を見て、色を変えるときには横糸を変えていきます。色の多い部分は都度糸を変えていくので特に時間がかかります」



鋏入れで際立つ表情
織り上げた後は鋏でカットし、柄が立体的に見えるように整えていきます。
「目で見た感覚だけで鋏を入れていきます。鋏入れが甘いと、使っているうちに溝が埋まってしまうこともある為、深めに鋏を入れています」と話す社長の滝沢さん。
仕事の話をする姿は活気と自信に満ちていました。
米沢緞通
「この石楠花では花びらの重なりを考えて鋏を入れています。柄の部分に少しずつ凹凸が出てくるのが面白いんです。輪郭がパキッとしてくると自分でやってても楽しくなります」
時間のかかる作業は集中力も必要で、だんだん目が疲れてくるそうですが、一生懸向きあった分、認めてもらえたり、出来上がったものを見て手がこんでいるということがわかる人が購入してくれるのが嬉しいと、楽しそうに話してくれました。



鋏と技術の継承
現在この作業ができるのは社長の滝沢さんだけ、とのことで、今後どの様に技術を伝えていくのかということについても聞いてみました。
「もう少し経ったら教えようかなとは思ってますが、まずは鋏を研ぐところから教えないと。鋏が綺麗に切れない状態だと柄がちゃんと出ないんです。」そう話す滝沢さんの手元にある鋏を見ると、かなり年季が入っていることが分かります。
米沢緞通
「粗取り用とか、仕上げ用とか、種類は様々ですが、これらは20~30年くらい前に山形で作られた鋏なんです。剃り方や鋼の入れ方が特殊で、刀みたいでしょう。手作りで作られているもので、何年か前に新潟の三条へ行って同じ様な鋏を作れないか相談したことがあるんですが、これは作れないと断られてしまいました。」
今は振動で切るタイプの電動鋏もありますが、細かい部分には不向きだと言います。
繊細な動きをするにはこの鋏に限ると話す様子からは、道具へのこだわりが感じられました。


豊富なデザイン
社長の滝沢さんは、柄を考えるところから作るのが好きで、特に花などの自然のものをよく取り入れるのだそう。定番の柄も作りつつ、好みや流行に合わせて様々なものを生み出します。
百貨店の山形展や東北展では年配の方から特に反響がある花のデザインのものを作ったり、若い世代に好まれるモダンな柄には作家さんやデザイナーさんの手も借りるそうです。
米沢緞通
実際に飛んできたモモンガから発想を得て作成されたというデザイン。地元に住むデザイナーさんならではの柄、というわけなんですね。



米沢の技術と人
工房や商品を見せていただき、米沢で作られる商品の質の高さやこだわりに触れたところで、改めて米沢のものづくりについて聞いてみました。
「米沢の人は先走ったことは言わないんです。律儀で、仕事してますと言わない気質があって、なんだか勿体無いくらい。控えめなのか宣伝の仕方が分からないのか」と語る滝沢さん。
米沢緞通
実際にいいものを作っている人は大勢いるのに、評価されても自慢しないのが米沢流。
首相官邸や閣議室の絨毯、皇室の方が身に纏うローブなど、米沢で作られているものがたくさんあるのですが、必要以上に情報を外に漏らさない暗黙のルールのようなものがあるのかも知れません。
律儀で実直、そして無駄なことを言わない米沢の真面目な米沢の人たちだからこそ、高い技術と信頼を積み上げてきたのだと感じました。



滝沢工房のこれから
最後に今後の展開についてお聞きしました。
「売らなければ次世代が育たない。どうやってこの仕事を次世代に残していくかという課題については、海外進出も含め考えていかなければいけないですね」と話す社長の滝沢さん。
「実際に日本の段通は世界的に見てもとても高い品質のものです。その昔、アメリカからレーガン大統領が来日した際に、一番驚いたのがカーペットの質だと聞いたことがあります。日本の緞通の技術が世界に認められたというのはとても誇らしいです」
米沢緞通
取材を通して、滝沢工房さんのバランスの取れた姿というのも見えてきました。 たとえば世の中の動きを良く見て、緞通の製作とクリーニングのバランスを取ること。 その柔軟な姿勢で苦境を乗り越えてきたからこそ、今の滝沢工房があります。
作り出す商品についても同じです。
決まったものばかり作るのではなく、お客様の反応に目を向けて作家さんやデザイナーさんと組んで新しいものも作り出していく。幅広い世代に愛される理由がそこにはあります。
そしてなんといっても、滝沢工房を経営する皆さんのバランスです。
前に出るのが嫌いな根っからの技術屋である社長と積極的に前に出て人と交流をする専務。
「うちの社長は気難しく見えるけど仕事はきっちりやるんですよ。役割分担があるんです。私も本当は黙って何かに集中したいタイプなんだけど、社長が話さないから私が頑張ってるんですよ」終始笑顔で気さくに話す専務から、最後に意外なお話を聞くことができました。
滝沢工房の皆さん、本当にありがとうございました。









米沢緞通の商品一覧



米沢緞通 エントランスラグ

エントランスラグ(85cm×57cm)




米沢緞通 ラグ

ラグ(63cm×45cm)




米沢緞通 スクエアラグ

スクエアラグ(38cm×38cm)




米沢緞通 スツールラグ

スツールラグ(30cm×40cm)






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