それぞれの " ものがたり "
『すずがみ』
お母さんがフライパンを取り出した気配がする。
材料を切り終えて、今から炒めるってことは・・・晩ご飯まで、
あと15分といったところか。
「お腹空いた。」
僕は、誰にも届かないくらいの小さな声でつぶやく。
早くご飯を食べたいけれど、4月から一人暮らしを始めた姉のようにお皿を並べたり、
タッパーに入った漬け物をテーブルに並べたりって手伝うのは、
高校生になったばかりの自分がやるのは気恥ずかしかった。
夕飯に使う茶碗も、お皿も、毎日同じものだから、
お母さんに「並べて」って頼まれたら、やろう。
手持ち無沙汰をごまかすように、テーブルの上にある物を直角に並べる。
リモコンを手に取って、端っこに寄せる。
夕刊を父親が座る辺りに置く。
夕刊を見ながら料理なんて見ずに口元に運ぶ父親は、
男の自分から見ても古くさい人間だと思う。
「あっ」
腕時計を載せてあった銀色のトレイを、持ち上げたときだった。
四角いトレイが、形を変えた。
力を入れたつもりはなかったけれど、ぐにゃりとふちが広がった。
「お母さん!このトレイ、曲がる!」
「あぁ、それ、『すずがみ』ね。そうそう、曲がるの。びっくりしたでしょう」
金属に見えるのに、曲がるほど柔らかいのか・・・。
「これ腕時計置き?」
「ううん、雑貨とか料理とかなんでもいいみたい。
だけど、食べ物を入れるのも勿体なくって」
「これ、使ってみようよ。お父さん、びっくりするよ」
「えぇ?・・・そうねぇ」
「何かこれに乗せれるものないかなー」
「端っこ曲げたら箸置きになるって、お店の人が言ってたけど・・・」
「じゃ、ここだけくるっと曲げて・・・端っこ漬け物のっけて、
お父さんの前に置こ、あと、他に使いそうな茶碗、言ってくれたら、出すよ。」
お父さん、気づくだろうか。
夕刊から顔を上げて、お母さんが作った料理を、ちゃんと見るだろうか。
「お父さん、気づくかしらね」
「ね、曲がったらびっくりするね」
「それもだけど。今日、あなたがこんな手伝いしてくれたって」
曲がる器、すずがみ。どれだけ僕がもじもじしても、受け止めてくれる柔らかい器。
ものがたりに登場する商品
syouryu すずがみ |